• 令和元年度江刺甚句まつり42歳年祝連 燎仁会

●「江刺甚句まつり」の起源と歴史

奥州市江刺区の中心市街地である岩谷堂地区は、享保16年(1731)の岩谷堂大火から明治39年(1906)までに7度の大火災にあったことから、人心は町の復興と火災防止を祈願し、貞観16年(874)開祖の秋葉神社例祭を火防祭(ひぶせまつり)としました。

これを起源に祭りは華々しく行われるようになり、明治期は地上15mの大山祭り、大正期は仮装行列、昭和期は門付け踊り、昭和25年に42歳厄年連初参加、昭和35年から25歳、42歳厄年連が共に参加する祭りとなり、昭和49年に「見るまつりから参加するまつりへ」をキャッチフレーズに「市民総参加のまつり」へと生まれ変わり、毎年5月3日~4日に開催されている今日の「江刺甚句まつり」が誕生しました。

11世紀の平安末期に奥州藤原氏の祖藤原経清、初代藤原清衡は37~38歳頃まで奥州藤原家の本拠地として岩谷堂の豊田舘に居を構えていました。藤原氏滅亡後は江刺氏が統治し、さらに江戸時代まで伊達藩の統治下にあり、藩の最北端の要地として城下町が形成され、北上川の舟運による物資の集散地として明治中期まで繁栄しました。

かつて岩谷堂地区は、大火に見舞われることが多く、多くの商人が蓄財を守るため、争って蔵を建てた歴史があります。物資の輸送には、牛とともに馬産地東北として大いに馬を用い「江刺追分」と称する馬小唄が盛んに唄われました。現在この歌は当地区では絶滅しましたが「江刺甚句」は現在でも唄い踊り継がれています。
<公式サイトより許可を得て引用しています>

 

●開催日程

第46回江刺甚句まつり 令和元年5月3日&4日開催

問合せ:江刺甚句まつり実行委員会 奥州市江刺総合支所産業振興課内 0197-35-2111(内211)
江刺甚句まつり公式サイト http://www.oshu-esashi.com

 

●年代連とは

奥州藤原文化発祥の地、奥州市江刺区の一大観光行事である「江刺甚句まつり」は、昭和49年から「見るまつりから参加するまつりへ」をキャッチフレーズに新しいまつりとして地域の振興と活性化をねらいに毎年5月3日~4日の2日間、盛大に開催しています。

古くは火防祭を起源に、現在では長い伝統をもつ「江刺甚句」を基調にしたまつりに新しく再編され、年々多彩なイベントを展開しています。この間、昭和52年には屋台収蔵庫の建設、昭和57年には江刺甚句まつり保存会の結成、さらには江刺鹿踊の組織化に伴い全団体が一同に会して踊る「江刺百鹿大群舞」の完成などまつりを側面からも盛り上げる体制も整えられました。

また、まつりの主役である42歳、25歳の年祝連を中心として各年代連の連携も、30年以上を経過した現在でも揺るぎないものとして伝承されて今日に至っています。これまでの伝統を引き継ぎながら、年祝連や町内屋台を中心として多彩なイベントを展開しました。

この他「歴史公園えさし藤原の郷」や「えさし郷土文化館」「明治記念館」「菊田一夫記念館」「蔵町モール」などを中心とした観光施設との連携を図って、江刺甚句まつりが開催される5月の連休期間中に奥州市江刺区へ多くの観光客の回遊を目指しました。
<江刺甚句まつり公式サイトより許可を得て引用しています>

42歳年代連(年祝連)
第44回平成29年「珠蓮会」しゅれんかい
第45回平成30年「紀焔会」きえんかい
第46回令和元年「燎仁会」りょうじんかい
第47回令和2年「緋勇陣」ひゆうじん

 

25歳年代連(年祝連)
第44回平成29年「鳳燁伝」ほうようでん
第45回平成30年「紫月琉」しんがりゅう